なぜ地球磁極は逆転するのか?

太陽黒点数/オゾン全数/エルニーニョ/太陽活動と米国日本の地磁気変動を追います!

4月度その7:歴史のIFシリーズ : 南満州鉄道のオペレーション ➡ 戦争の反対は? ➡ JALパック

歴史のIFシリーズ :

南満州鉄道のオペレーション ➡ 戦争の反対は? ➡ JALパック

 

さて、何故、日本は太平洋戦争を回避出来なかったのか?を掘り下げておりますが、今回はまとめで、このテーマはこれにて最終です

何故、日本軍は負けたのか?は既に多く語られていると思いますが、上記の問題はそれほど多くは語られていないのではないか? 即ち、これが原因で回避出来なかったのだ、という通説もしくは概念は定着していないと思います、それはそれで大問題であるように私には思えるのです

すべてWikiを参考、で行きます、緑文字がWikiの文章行、ピンク文字は私の意見行、です

 

南満州鉄道のオペレーション:参考: [東清鉄道 - Wikipedia]

東清鉄道とは、ロシア帝国が引いたシベリア鉄道の大連に至る最南部を含む路線であり、1896年ロシア名「中国東方鉄道株式会社」、清朝名「大清東省鉄路」という鉄道会社が設立されて、経営の最高機関は、ロシア帝国の首都サンクトペテルスブルグに置かれた理事会で、ロシア大蔵省が理事を任命、このように、表向きは露清合弁であったが、ロシアの発言権が強く、清朝は経営に直接関与できなかった、この時、供与された資金は、フランスの投資家からロシア政府に貸し付けた4億ポンドからのもので、これによって露仏同盟が結ばれた

ロシア帝国満州における鉄道会社を運営しようとすれば、何らかの形で清朝を参加させなければオペレーション出来るものではない、という事が分かっていたのである

これは余りに当り前の事のように、私には思える

つくづく、1905年のポーツマス条約締結の9月5日の後、10月12日にセオドア・ルーズベルト大統領の意向を受けてエドワード・ヘンリー・ハルマンが来日し、東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定が調印が調印されているが、これを実行に移さなかった事が惜しまれる

これは私の勝手な想像であるが、米国を経営に参加させていれば、何らかの形で清朝側も参加させないと南満州鉄道はオペレーション困難となる旨の提案がなされたろう、清朝側にもそこそこ利益を与えないと運営は困難だからである、鉄道守備隊である関東軍がいるから大丈夫、などという論理は有り得ないのである

桂・ハリマン協定が順調に実行されていれば、満州事変も太平洋戦争も回避出来たろう、これは日本にとって最大の歴史IF指摘である

しかし、余りに日本は仲間作りが下手だった、連合軍を組む事が出来なかったのである

 

戦争の反対は? 参考:[松岡洋右 - Wikipedia]

1932年、国際連名はリットン調査団を派遣、その報告書(対日勧告案)が9月に提出され、ジュネーブ特別総会での採択を待つ状況だった、報告書の内容は日本の満州における特殊権益の存在を認める等、日本にとって必ずしも不利な内容ではない、しかし報告書は、「9月18日以前原状復帰は現実にそぐわないという認識・満州自治・日本権益の有効性」を認めながらも結果として満州を国際管理下に置く事」を提案し、満州満州国として認めない内容だったため日本国内の世論は硬化、政府はジュネーブ特別総会での採択直前に満州国を正式承認(9月15日)するなど、政策の選択肢が限定される状況であった

 この対日勧告案は、私には全く問題ないように思える、しかも、採択を待っている状況下で9月15日に満州国の正式承認をする等、自分で選択肢を狭めてしまった

このような中の10月、松岡は連盟総会に日本首席全権として派遣される、「日本の主張が認められないならば国際連盟脱退はやむをえない」は松岡全権の単独行為ではなく、あくまでも日本外務省が想定した最悪のケースであり、脱退を既定路線としてジュネーブに赴いたわけではなく、松岡はできうる限り脱退を避ける方針で連盟総会に臨んだ

⬆ このWikiの日本語は、、、42対1は想定していなかった、とでも言いたいのかな?

読売新聞が朝刊2面で『日本と連盟遂に事実上絶縁 42対1で総会報告書採択 我代表席を蹴って退場 歴史的総会の大詰め』、夕刊1面で『日本、事実上脱退へ 最終総会 けふ閉会 松岡代表堂々反対宣言 四十五対一位で報告書採択か 日支問題 劇的大詰め』

従前から連盟脱退を支持していた新聞各紙は、松岡洋右に対して好意的な報道を行った。「英雄」として迎えられた帰国後のインタビューでは「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」、「いまこそ日本精神の発揚が必要」と答えている

 何と言う愚かな姿勢と発言!

 戦争の反対は、話し合い、なのである! 採択結果が賛成42対反対1であれば、しれっと「それでは採択結果を尊重致します」くらいが言えないとダメである、が、まぁ、当時の日本では不可能であったろう、し、もう手遅れの状態

北朝鮮を見よ、いかなる対北朝鮮非難決議案が出されようとも、決して国際連合を脱退する事はないだろう、完全に孤立してしまう事が分かっているからである

ここから得られる歴史IF指摘は漠然としたもので、政治家も軍人もメディアも国民も、皆もう少し全体を見渡す能力が備わっていたならば、、、という事なのである

 

JALパック:参考:[ジャルパック - Wikipedia]

高度経済成長による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の海外渡航制限が1964年に解除されたことを受けて、1965年1月20日に日本初の海外パッケージツアーブランドである「ジャルパック」第一弾の発売が日本航空によって開始され、全7コースが旅行代理店から一斉発売された

その頃は皆、海外旅行に行った、JALパックで、そうしてネットは未だ無かったけれど、メディアには良くこう出ていた:

当時、JALパックがあれば、太平洋戦争は回避できた、だろう

私は、本当にそうだな、と思った、JALパック1965年、、、それは満州事変1931年から、たった34年後の出来事なのである

 

 

これにて、テーマ:何故、日本は太平洋戦争を回避出来なかったのか?は終了です、読みづらい内容にお付き合い賜り、誠にありがとう御座いました

心より感謝申し上げます

 

 

 

 

以上です

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 本ブログ題名「なぜ地球磁極は逆転するのか?」と件名「太陽黒点数の推移を追う!」は内容に於いて一致しません。 これは、はてなブログ無料版を使っている上で成行き上そう成ってしまったからです。 これを回避するにはproに行くしかないそうです。 現在、proに移行する計画は無く、当面このままで行くしか無い状況です。 混乱させて大変申し訳ないのですが、よろしくお願い致します。

 尚、太陽の黒点に関する一般的な解説は、こちら: [太陽黒点 - Wikipedia]

 

最後まで読んで頂き、ありがとう御座いました。

 

 

 

免責:

本ブログにおけるデータハンドリングと解釈・プログラム作成・結果としての内容などに関し、本ブログ著作者はいかなる責任を負うものでもありません。

引用:

[1] 国立天文台 太陽観測科学プロジェクト 三鷹太陽地上観測

[2] List of solar cycles - Wikipedia