2月度その10:気になるシリーズ ➡ 真とは何か?人は真について何を追って来たのか?
気になるシリーズ ➡ 真とは何か?人は真について何を追って来たのか?
この黒点サイトでは、「太陽黒点数の推移」「太陽黒点数とS&P500、VIXとの相関」「エルニーニョ南方振動ELSOと太陽黒点数との相関」の太陽黒点に関連した3記事を毎月の初めに更新しています
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです
従来から私は「真とは何か?」について漠然とした興味を持っており、漠然と考えて、まずはギリシャ哲学辺りから追ってみよう、と思いました
お付き合い頂ければ幸いです
まず、Wikipedhiaには「真」なる項目は無い!「真理」または「真理値」であり、ここは [真理 - Wikipedia] からスタートしよう
真理(Truth)とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。
確実な根拠とは、それ事態が真理であると言える、従って、この真理定義は自分自身を含む定義となっている(それ自体が間違っている訳ではない!)、真理とは真理から生まれる事態を言う、という訳だ
誤りなく認識とは、「観測」の事である
真理論の歴史は、古代ギリシャに始まる。人間を尺度とする相対的なものの見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。
ここで相対的とは、人は絶対的ではない、という意味だろう、だから人は普遍で永遠に継続する何かを求めているのだ、ここに真理の概念が生まれた!という訳だ
このような絶対性を内実とする真理主義は独断主義を生み、
なるほど、宗教もこの一面がある
これに対する防衛・反抗が懐疑主義を生んだ。
懐疑主義とは、すべて疑ってかかれ!という考え方か、、、それだと前に進まない心配がある
そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思考・観念・判断、命題、「事物」等のいずれであるか、について議論がなされてきた。
ふむ、ここでWikiの著者は、真理の担い手を:
思考・観念・判断
命題
「事物」
の3形態に分けています、これはこれで興味深いものがあります
さて、ここで論理学に入ります
現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値という。
これは論理であればOKです
論理学で、「Pは □ か □ でないかのいずれかである( □ であり、かつ □ でない、ということはない)」という形をした文は □ の内容に関係なく正しいので、これは「形式的真理」と呼ばれる。
ふむ
このような形式的真理ではなく、資料について真理が語られるときは「実体的真理」という。
判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、
存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という。
現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。
色々な言葉が出てきた、これはこの辺りで止めよう
さて、真理を論ずるには言語が不可欠であり、ここにロゴスとの関係が出てくる、ロゴスとは古代ギリシャ語で、現在では以下を意味する:
1.言葉、言語、話、真理、真実、理性、概念、意味、論理、命題、事実、説明、理由、定義、理論、思想、議論、論証、整合、言論、発言、説教、教義、演説、普遍、不変、構造、質問、伝達、文字、文、口、声、名声、法則、原因、根拠、秩序、原理、自然、物質、本姓、事柄そのもの、人間精神、思考内容、思考能力、知性、分別、神、熱意、計算、比例、尺度、比率、類推(アナロジー)、算定、考慮などの意味。
まぁ、ここまで来れば、これ以上はあるまい! よくこれだけの日本語があるものだ、と感心します!
2.万物の流転のあいだに存する、調和・統一ある理性法則。
万物流転とは、ヘラクレイトス(前500年頃)によって提唱された哲学概念、時の経過と共にすべては変化する事を示し「誰も同じ川に二度入ることはできない」と表現した
「始めに言葉ありき」と聖書にありますからね
さて、ここまで書いて真理の入り口が見えて来たと思う、その入り口は人によって違うだろうけど、私の場合は:
普遍であり、本質である
と感ぜられる、皆さまはどうだろうか?
ここで真理の反対が何であるのか?考えてみよう、真理とは何かを考えている時に、その反対は?を問うのは不確実性を伴うので、私の定義は:
真理の反対とは、真理の否定である、即ち真理でないものが真理の反対である
となります
次回は「普遍であり、本質である」について事例をもって考察を続けたい、と考えています
以上、お付き合い頂き、誠にありがとう御座いました
感謝です