11月度その16:気になる点シリーズ ➡ 縄文時代の食生活と住居は?
気になる点シリーズ ➡ 縄文時代の食生活と住居は?
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は縄文時代に着眼した第四弾(最終)として、
縄文時代の食生活と住居は?
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです
1.縄文時代の食生活
縄文時代は今から約16000年前から約3000年前まで続いた新石器時代であり、特徴としては定住化し(縦穴住居)、弓矢を用い狩猟し針を使って魚を取り、ドングリやクリやクルミを採集し、土器を使って調理をしていた 、水田稲作と金属器は弥生時代になってからである
[日本列島の狩猟採集時代の食事 - Wikipedia] によれば、
植物性の食物を中心として余った分は穴や屋根裏に貯蔵し、肉魚は補完的に食された。福井県の鳥浜貝塚の土器163サンプルの分析から、動物の脂も検出されているが多くは魚介類の脂であり、およそ9千年間にわたり土器は主として魚介類を煮るのに使われたと考えられる。縄文時代の基本料理は鍋料理であり、肉や野菜、ドングリの団子を一緒に煮た。
何と鍋料理ですか!
土器を用いて煮ることが発達し、採集による植物性の食品の利用が増えた。クルミ、ドングリ、クリ、トチなどを縦穴式住居の近くに穴を掘り備蓄したものが多く出土している。
そして、
狩猟による食肉は大半がイノシシとニホンジカによるもので、その他カモシカやエゾヒグマやツキノワグマ、タヌキやアナグマなど様々である。またキジやカモ、ガンなども対象とした。狩猟は縄文時代に登場した弓矢によるものを主とし、罠や落とし穴なども用いた。またイヌは飼育されており、猟犬として用いたと考えられている。
四季に応じた食生活をしていたようで、
採集や狩猟や漁は自然によるもので、四季のある日本列島では季節性が表れる。宮城県の里浜貝塚による調査では、春にはアサリや木の芽や若草などの山菜を採集し、夏にはマグロやアジやサンマなどの漁と海水による製塩、秋にはサケ漁とドングリやクリの採集、秋から冬にかけてニホンジカの狩猟と土器の製作と、季節に応じた食生活を行っていた。
これを読む限りでは、バランスの取れた超健康的な食生活、ですね! まぁ、でも、ドングリが美味しければ、の話ですが
で、ドングリは美味しいのか?ですが、調べてみると結構サイトがありまして、
[えっ、食べられるの!?「どんぐり」のおいしい食べ方&アレンジレシピ (2ページ目) - macaroni] によれば:
生おからとどんぐり粉でしっとりクッキー、という事だそうです、詳しくはサイトをご参照下さい
ドングリだけでは無理なようで、縄文時代にもクルミやクリと混ぜたのではないでしょうか?
2.縄文時代の住居
[竪穴式住居 - Wikipedia] によれば、
日本の竪穴住居は後期旧石器時代から造られ始めたと考えられており、縄文時代には盛んに造られるようになり、弥生時代以降にも引き継がれた。伏屋式と壁立式があり、そのうち伏屋式が主流で、壁立式は拠点集落の大形住居に限られ、首長居館として権威を示す形式として弥生・古墳の両時代に築造されたと考えられている。そして、日本の農家や民家のもととなっていった。竪穴住居自体は平安時代ごろまで造られた。
従って、壁立式は弥生時代以降なので、縄文時代は伏屋式がメインですか
By 小池 隆
まぁ、これであれば雨は入って来ない、入り口がそれなりに高ければ
また「住居」という名称は不正確であるが、東日本の縄文時代に見られる超大型住居というものもある
By Yoshio Kohara
これは縄文時代なのですが、壁立式に見えますね?
縄文時代における縦穴式住居に関しては、色々なサイトがあって、色々な考え方を提示しておられるのだけれども、著作権の問題があり、ここでは紹介できない、Wikiのレベルだと、この辺りが限界です
要するに、私は「縄文時代」について自分の口で語る程には知識・バックグランドが無いのです、Wikiから内容を引っ張って来る分にはまぁOKなのですが、他の方々のサイトの内容をそのまま引っ張って来る訳には行きませんので、この辺りが限界、という事です
以上、長い事お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました、これにて「縄文時代」を終わります
11月度その15:気になる点シリーズ ➡ やはり縄文時代と言えば、土偶でしょ!
気になる点シリーズ ➡ やはり縄文時代と言えば、土偶でしょ!
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は縄文時代に着眼した第三弾として、
やはり縄文時代と言えば、土偶でしょ!
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです、縄文時代は何回かに渡ってアップする予定です
土偶とは:
[土偶 - Wikipedia] より、
ですよねぇ
で、順不同でドンドン写真をアップしてゆきます
By I, Sailko
遮光器土偶は主に東北地方から出土し、縄文時代晩期のものが多い。
目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられた(遮光器を付けた姿の表現ではなく、目の誇張表現と考えられている)。
その特徴は上述の遮光器のような目に加え、大きな臀部、乳房、太ももと女性をかたどっていることである。また、胴部には紋様が施され、朱などで着色された痕跡があるものが多い。
By Saigen Jiro - 東京国立博物館展示。撮影可能下でSaigen Jiroが撮影。
縄文時代晩期の作と思われる
ちなみに、こちらが、
By commons.wikimedia.org
エスキモーが用いていた遮光器(雪原で反射する紫外線を遮光する)
う〜む、似ていますねぇ
By Daderot
縄文時代後期の作と思われる。
仮面をかぶった姿をあらわしているのか、顔そのものがデフォルメされているのかはわからない。
小さな乳房がついていることからかろうじて女性像であることがうかがえる。
By Takuma-sa
縄文時代中期の作と思われる
粘土に細かい雲母片が練りこまれているために、肌がうっすらと輝いているように見える。雲母片が練りこまれた土偶も例が少なく、ほかの土偶が体の一部を破壊されているものが大半であるのに対し、この縄文のビーナスはほぼ完全な形で見つかったことも珍しい。国宝
By Saigen Jiro - 東京国立博物館展示。撮影可能下でSaigen Jiroが撮影。
縄文時代(後期)の作と思われる
極端にデフォルメされた顔の表現が鳥のみみずくに似ていたことから、「みみずく土偶」と呼ばれる。耳には丸い耳飾りをつけ、頭部の突起は結った髪型や櫛をさしている状態を表すと考えられている。土偶の身体表現は縄文時代の風俗をうかがう一材料となっている。
By Ko010
縄文時代後期前半の作と思われる
この遺跡からは200点近くの土偶が出土していますが、土偶は何らかの願いを込めて壊されたのか、ほとんどは破片で完全な形に復元できたのはこの1点のみです。
By PHGCOM
縄文時代後期後半の作と思われる
体育座りの格好をした座像形の土偶です。胸の前で両手を合わせて指を組む特異なポーズの特徴を端的に表すために「合掌土偶」と名付けられました。
天を仰ぎ、一心不乱に力の限り深く祈る様子が強く印象づけられます。その祈りは今日的な豊穣祈願や安産祈願と考えられています。一方、体育座りの姿勢は民俗例にみられる座産の出産姿勢と関連づける説もあります。
「合掌土偶」の愛称で知られる。足や腰の割れ目には天然アスファルトを接着剤のように塗った跡があり、修復しながら使っていた可能性もある。国宝
縄文の女神・山形県舟方町にある西ノ前遺跡出土
By Saigen Jiro
縄文時代中期の作と思われる
縄文の女神は、高さ45cm、淡い赤褐色をした土偶である。縄文時代の人の姿が究極に再現された土偶であり、故意に壊された状態で発見され復元が不可能な土偶が多い中、完全な土偶は日本国内では珍しいとされる。
高さは45cmと日本で発掘された土偶の中で最大級とされる。均整のとれた八頭身の美しい容貌から、縄文の女神と呼ばれるようになった。国宝
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました
11月度その14:気になる点シリーズ ➡ 当時、氷床が溶け海面は約100m上昇した・縄文海進!
気になる点シリーズ ➡ 当時、氷床が溶け海面は約100m上昇した・縄文海進!
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は縄文時代に着眼した第二弾として、
当時、氷床が溶け海面は約100m上昇した・縄文海進!
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです、縄文時代は何回かに渡ってアップする予定です
1.縄文海進!
[縄文海進 - Wikipedia] によれば、
縄文海進は、最終氷期の最寒冷期後(約19,000年前)から始まった海水面の上昇を指し、日本など氷床から遠く離れた地域で100メートル以上の上昇となり(年速1 - 2センチメートル)、ピーク時である約6,500年前 - 約6,000年まで上昇が続いた(日本では縄文時代)。現在はピーク時から海水面は約5メートル低下した。またピーク時の気候は現在より温暖・湿潤で平均気温が1 - 2℃高かった。
By commons.wikimedia
最終氷期以降の海水準の変化
ここで注意して欲しいのは「ピーク時には現在より海面は約5m程高かった」という表現を単独でする場合があり、それは約100mの上昇をした後の話なのである
あくまでも約100m程度上昇し、その後5m程低くなった、のである
それは、あれだけの欧州・ロシア・グリーンランド・北米大陸・南極の氷床が溶ければ100m位は簡単に海面上昇するだろう(北極海の氷湖が溶けても海面上昇にはそれほど寄与しない)
その後5m程海面が低くなったのは、河川の土砂が堆積して海面を押し戻したから、とされている
2.奥東京湾・当時、埼玉は海に接していた
[埼玉県の貝塚の一覧 - Wikipedia] によれば、
縄文海進により、現代では海に面していない埼玉にも湾が入り込んでおり(奥東京湾)、多くの貝塚が形成されていた。埼玉の貝塚の数は110か所を越え、とくに縄文海進が進んだ縄文時代前期の貝塚の数は多い。
By 東木龍七(Touki Ryushichi) 1892-1943
縄文時代の関東平野 斜線部分は縄文時代には海だった地域-東木龍七 (1926) 地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線
1926年の手書きの地図です、手書きってイイですね!
[1. 「くに」の成立 【農と歴史】:関東農政局] によれば:
縄文時代前期前半の海岸線である
[縄文稲作はあったか | 文系の雑学・豆知識] によれば:
貝塚の位置が示されている、埼玉にはかなり多い(特に縄文前期)と言われている
3.大阪も縄文時代は海の底であった
[【萌える日本史講座】大阪、縄文時代は海の底…遺跡は今も地下深く(1/3ページ) - 産経ニュース] によれば(2019年5月の記事です)、
40年以上にわたって大阪府内の遺跡調査や縄文時代の研究を続けた府文化財調査事務所元所長の渡辺昌宏さん(65)が3月末に府教育庁を退職した。渡辺さんは語る:
「気候も地形も大きく変わったのが縄文時代。遺跡がそれを物語っている」と指摘する。府内には約400カ所の縄文時代の遺跡があり、半分ほどが生駒山西麓の河内地域に集中する。現在の大阪平野の大部分は温暖化による「縄文海進」で海水が入り込んで「河内湾」が広がり、生駒山西麓以外は多くが海底だったためだ。
そして、
大阪の縄文時代に転機が訪れたのは約4千年前の後期だ。約5千年前までは今の陸地のほとんどが海の中だったが、気候変動などの影響で海域が後退。日本列島の気温は数度下がり、アワなど雑穀の栽培に適した環境になり畑作も広がったという。近畿の人口も中期には2800人だったのが後期には4400人に急増したという推計もある。
大阪で縄文文化が盛んになったのは後期のようである、それでも地下深くに遺跡は在って発掘は困難であるようだ
それにしても、人口が近畿全体で中期に2800人、後期でも急増して4400人とは、そのようなものなのだろうか
尚、大阪には貝塚市という市名があり、大阪における貝塚マップというのは見当たらなかった、ちなみに貝塚市で貝塚は発見されていないとの事である
4.再度、日本の縄文遺跡グラフを
最後に、 [縄文時代の遺跡一覧 - Wikipedia] より日本における縄文遺跡リストのグラフを再度載せておきます
「埼玉の貝塚の箇所は110を超え、、、」「大阪の縄文遺跡は400、、、」といった記載があった訳で、ここは一人の人の判断によるカウントが重要と思われるからです
左から、沖縄・九州地方(オレンジ)、四国・中国地方(ピンク)、近畿地方(パープル)、中部地方(ブルー)、関東地方(明るい緑)、東北・北海道地方(深い緑)、に分かれています、各地方トップを数字と名称で示しています
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました
11月度その13:気になる点シリーズ ➡ 縄文時代とはどんな時代?
気になる点シリーズ ➡ 縄文時代とはどんな時代?
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は以前から気になっていた、
縄文時代とはどんな時代?
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです、何回かに渡ってアップする予定です
1.縄文時代とは?
[縄文時代 - Wikipedia] によれば:
縄文時代は、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器と弓矢の発明、定住化と縦穴式住居の普及、貝塚の形成などが挙げられる。
始期と終期については多くの議論があるが、まず始期に関しては一般的に16,000±100年前と考えられている。終期は概ね約3,000年前とされる(諸説あり)。
この16,000年前に始まり3000年前に終えた、というのは重要である、何故ならその間に最終氷河期が終えて(約10,000年前)地球は温暖化し海面が急上昇した時代に被るからである
なるほど〜、稲作は弥生時代ですか、とすると縄文時代は何を食べていたのか?という疑問が湧いて来るが、追々分かって来るでしょう
まず火焔型土器:
深鉢形土器(火焔型土器) 伝新潟県長岡市馬高出土。把手部分に典型的な鶏頭冠形が見える。(東京国立博物館蔵)
火焔型土器は、縄文時代中期を代表する日本列島各地で作られた土器の1種。燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す。装飾的な縄文土器の中でも特に装飾性豊かな土器である。
そして縄文土器:
By Chris 73
縄文土器(縄の文様がついている。)
大分、印象が違います
2.縄文時代の遺跡一覧
[縄文時代の遺跡一覧 - Wikipedia] に日本全国における縄文遺跡がリストされていました
この一覧はすべての縄文遺跡を網羅するものではない。
と注意書きがあり、リストが挙がっているのですが、それをグラフにしてみました
左から、沖縄・九州地方(オレンジ)、四国・中国地方(ピンク)、近畿地方(パープル)、中部地方(ブルー)、関東地方(明るい緑)、東北・北海道地方(深い緑)、に分かれています、各地方トップを数字と名称で示しています
何と、埼玉が最大で29箇所、続いて大阪の27箇所、となっています、私は漠然と東北地方に縄文遺跡が多いのでは、と思っていたのですが、完全に間違っていました
海に囲まれていない埼玉で29箇所、海に囲まれている千葉に来ると10箇所になってしまう、それが海に面している大阪で27箇所、、、この辺りは原因があるのでしょうね
また内陸県の長野で16箇所、回りに特出して岡山は10箇所、広い北海道と同じで宮城は15箇所、、、これも原因があると思われます
このグラフから分かるのは、
縄文遺跡は日本全国に分布している、沖縄・九州・中国・四国は少ない傾向を示しているが
という事でしょう
九州・中国・四国は水田稲作が他の地方より早く伝わり、縄文時代が短かった(弥生時代が早く始まった)可能性はあると思います
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました
11月度その12:気になる点シリーズ ➡ ゾロアスター教の特異点!
気になる点シリーズ ➡ ゾロアスター教の特異点!
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は以前から気になっていた、
ゾロアスター教の特異点!
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです
1.20万年前:現生人類アフリカ単一起源説
現生人類はというと、[アフリカ単一起源説 - Wikipedia] によれば、地球上のヒト(現生人類、ホモ・サピエンス・サピエンス)の祖先はアフリカで誕生し、その後世界中に伝播していったとする
左上にアフリカ・マダガスカルが見える、右側に南アメリカ、左下にオーストラリアとニュージーランドが見える、日本は中央下左側の黄色いマークが出ている所で3万5千年前から2万5千年前にヒトは到達した、となっている
By commons.wikimedia
母系(ミトコンドリアDNAの分布)から推定した人類伝播のルートおよび年代、年代は千年単位
この図によれば、発生したのは17万年〜13万年前であるが、一般には20万年前と言われるので題名の所は20万年前とした
2.7万年前:ヴュルム氷期・最終氷期
およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のことである
By map.ngdc.noaa.gov
凡例が見にくいので、代表例を挙げれば、灰色は氷床に覆われた地域、アフリカ・オーストラリアに見られる紫色は砂漠、南米東側・アフリカ中央から南側・インド・東南アジア・オーストラリア北部に見られる緑色は草原、カナダ北部・シベリアに見られるブルーは氷湖、である(これは寒気が最も強かった時の図だそうである)
ヴュルム氷期の間、シベリアとアラスカは氷湖で繋がっていたので、ヒトは北アメリカから南アメリカまで、1万年前には広がっていたのである
3.1万年前からこちらでは
1万年前に最終氷期が終わり、氷床は溶ける時には一気に溶けるので全世界で洪水が多発した、北極海の氷湖が溶けても海面はそれほど上昇しないが、北米やグリーンランドやロシアや欧州北部や南極大陸の氷床が溶けると海面は確実に上昇する、伝説や伝承で大洪水が起きた、とされる言い伝えが多いのはこれによるのである
[文明 - Wikipedia] によれば、文明が発生するには、まず前提として農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農産物の生産がなければならない、最初期の農耕はオリエントの肥沃な三日月地帯(現在のイラク)において11,000年前、パプアニューギニアで9,000年前の証拠が発見されている
農業を発展させるには、灌漑事業が必要で社会的組織的な作業となり、ここに都市国家が生まれて来る、アイザック・アシモフによれば:
紀元前5000年の頃には既に農業を起こす文明が3000年近く存在していた、その頃チグリス・ユーフラテス流域にシュメール民族が入ってきた、シュメール人は優秀であった
・ まずヨットと櫂を発明した、これにより川をさかのぼる事が可能となった
・ 車輪を発明した、これにより荷車が出来、道路が造られた
・ 青銅器を発明した、これにより工具・武器が石器に比べ飛躍的に強化された
・ ビールと葡萄酒も作ったが、これはエジプトやチグリス域やユーフラティス域全体の話でシュメール独自ではない
・ 紀元前3000年頃には数字を発明した、我々が今も使う12ー60進法である
・ 同時に文字も発明した(楔形文字)
シュメールの場所を以下に示す、これは知っておいた方がいい
ウルク・ウルと言う地名が見えるが当時全盛を誇った有名な都市国家なのである、シュメールは旧約聖書ではスメルと呼ばれ、アブラハムはスメルのウルを出た、とされている、シュメールは憧れの文明であったのである、自分達の先祖は優秀でありたいのだ
ただ上図は当時のシュメールの位置であり、その後のチグリス・ユーフラテスの土砂堆積で、当時のシュメールは大分内陸になっているハズである
所で、同時にエジプトでも文明が発達し、文字(ヒエログリフ)が作られた、シュメールとエジプトの間に在った商業国家フェニキアでは両文字を翻訳するのにアルファベットを考案した、アルファベットは全人類の歴史の中でただ一回フェニキアで紀元前1500年頃に作られたのである
紀元前1400年頃にはヒッタイトで鉄器が作られ、青銅器は姿を消した
紀元前1000年頃、イスラエルが建国されたが、前900年頃には南北に分裂し、前700年頃に滅亡した、滅亡後ユダヤ人は強国であったダビデの時代を懐かしみ、いつか救世主が現れるというメシア思想が生まれた
4.紀元前500年頃、ゾロアスター教が起きた
[ゾロアスター教 - Wikipedia] によれば、イラン高原に住んでいた古代アーリア人の多神教(原イラン多神教)をゾロアスター(人名であり、ツァラトゥストラとも言う)がアフラ・マズダー(善の神)を信仰対象として創設したのがゾロアスター教である
この宗教の特徴は、何と、
悪魔を発明した
のである!
ゾロアスター教によれば、善の神々と悪の神々は力が拮抗しており、ここに人類が善の神々に加勢する事により、善の神々が打ち勝つ、とされている
それまで人類に「悪魔」というコンセプトは無かったのである!
これはキリスト教にも影響を与えた、新約聖書には悪魔が出て来る(旧約聖書は既に出来上がっていたので、悪魔は出て来ないだろう)
ゾロアスター教は光(善)の象徴としての純粋な「火」を尊ぶため、拝火教とも呼ばれる、ゾロアスター教の全神殿には、ツァラトゥストラが点火したとされる火が絶えることなく燃え続け、神殿内には偶像はなく、信者は炎に向かって礼拝する
しかし、イランにおけるイスラム教徒の支配下でゾロアスター教徒たちは経済的利益や身の安全のため次々と改宗していった、そして残る人々はインドに逃れ、インドがゾロアスター教人口が最も多く(約7万5千人)、全世界でも約10万人程度とされている
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました
11月度その11:気になる点シリーズ ➡ 海洋vs海洋プレート型背弧海盆と大陸vs海洋プレート型背弧海盆!
気になる点シリーズ ➡ 海洋vs海洋プレート型背弧海盆と大陸vs海洋プレート型背弧海盆!
現在、この黒点サイトでは、私事ですが忙しくなって来たもので「太陽黒点数の推移を追うシリーズ」のみを扱っております、数カ月前までは「木星衝合と巨大地震の相関を追うシリーズ」や「地磁気と地震の相関を追うシリーズ」等もやったのですが、木星や地磁気はかなりの集中力とエネルギーが必要で、とても現在の私の状態では扱えないのです
しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は以前から気になっていた、
海洋vs海洋プレート型背弧海盆と大陸vs海洋プレート型背弧海盆
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです
1.海洋vs海洋プレート型背弧海盆の特徴
下の図には、海洋vs海洋プレート型背弧海盆と大陸vs海洋プレート型背弧海盆の2種類が載っている
拡大を停止している四国海盆と拡大中のマリアナ背弧海盆が、海洋vs海洋プレート型である
西(左側)にあるフィリピン海プレートの下に東(右側)から太平洋プレートが沈み込み背弧海盆を形成した(している)のである
この場合の特徴は、沈み込む場所に弧状の火山列を造るのみならず、海盆中央にも火山列を造る事にある
四国海盆の中央に火山列が在るのは見て取れるだろう、マリアナ背弧海盆をGoogle Earthで拡大すれば、
こうなる
2.大陸vs海洋プレート型背弧海盆の特徴
それに対し、大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込んで造られる背弧海盆の場合、中央火山列が形成されない特徴がある
まず現在拡大中の沖縄背弧海盆を見てみよう、これは大陸型プレートであるユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んで形成されつつある背弧海盆である
弧の先端に火山列は造られるが、海盆中央に海底火山列は無い
日本海は既に拡大を停止している背弧海盆であるが、やはり中央に海底火山列は存在しない、Google Earthで確認しよう
ユーラシアプレートの下に沈み込む太平洋プレートが形成した日本海や、日本海の北東(右上)に見られるクリル(千島)海盆、これはやはり拡大を停止している、には中央に海底火山列は見当たらない
弧として大陸プレートから切り離された日本列島や千島列島が、火山の宝庫である事は言うまでもないが
3.考察と結論
海洋プレートは地殻が薄い(約5km)ので中央にも火山列が出来るのだが、大陸プレートは地殻が厚い(大陸地域で約30kmであり、海洋に張り出した領域でも20km程度だろう)ので中央に火山列が出来にくい、と考えられる
また、大陸プレートでは、中央部に火山列を形成しないで背弧海盆が形成されると、海盆が出来たからと言っても、もはや中央部に火山列を形成するタイミングを失う可能性も有り得る
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました
11月度その10:気になる点シリーズ ➡ ハワイと米国西海岸との間の独特の海底模様!
気になる点シリーズ ➡ ハワイと米国西海岸との間の独特の海底模様!
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しかしながら、ベッドで寝っ転がっていると漠然と頭に浮かんで来る疑問がありまして、それは私にとっての未解決問題もしくは気に掛かる問題なのです、そこで本日は以前から気になっていた、
ハワイと米国西海岸との間の独特の海底模様!
についての記事をアップさせて頂きたく、お付き合い頂ければ幸いです
その独特の海底模様とは?
ハワイから米国西海岸へ東西へ伸びているラインです、ピンク矢印で4箇所示しています
南北だいたい等間隔で4本並んでいます
ここは太平洋プレートど真ん中であり、プレートは東から西へ年約14cmと高速に移動しています
考察:
先日、大西洋中央海嶺の「工の字」型断層が連結される海底マップを示しました
これは大西洋中央海嶺でマントルが湧き出して来ている海底火山の場所ですので、南北間隔も短く「工の字」型断層を形成しています
それに対し、ハワイから米国西海岸の間には海嶺はなく、従って海底火山列もないのですが、太平洋プレートは東から西へ移動し、地球の自転は赤道で最大の加速度をもたらし、極へ向かうに従い加速度は減少するので、南北一定間隔で東西方向へ歪を発生させる応力が働き、南北一定間隔でシワとなる断層が発生するものと思われます
海嶺に見られる「工の字」型断層ほど明確かつ頻繁には現れませんが、同じ自転による加速度の大小が原因でシワ(断層)が生ずるのです
以上、お付き合い頂きまして、誠にありがとう御座いました